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ヴィノテーク2009年10月号掲載
日本のワインの歴史は浅い。
一般の暮らしに溶け込んだのは最近のことだ。消費者向けのボルドー・プリムール販売が始まったのが1995年ヴィンテージ。アメリカでプリムール人気が爆発したのが1982年。ずいぶん遅れている。田崎真也氏がソムリエ世界一になったのも1995年。このあたりから、ワインが、日常の食卓やテレビドラマに登場する機会が増えた。
それから十数年。多くの人間が世界の舞台で活躍している。2008年6月に急逝したボルドー第二大学の富永敬俊博士は、白葡萄の香りの仕組みの解明に努力した。20097月、漫画「神の雫」は、料理本のアカデミー賞「グルマン世界料理本大賞」の名誉の殿堂入りした。ニュージーランドのクスダ・ワインの楠田浩之氏は、イギリスのファイナンシャル・タイムズ紙のジャンシス・ロビンソンMWのコラムで紹介された。
世界は狭くなった。自動車も、パソコンも、ファッションの分野でも、日本からトップの人材が生まれている。
しかし、1980年代からフランスの最先端で、真剣勝負してきた人物を忘れてはいけない。サントリーが買収したシャトー・ラグランジュを再建した鈴田健二さんである。ボルドーのワイン産業で、初めて認められた日本人醸造家。今でこそフランス各地に、ワインを造っている日本人がいるが、鈴田さんはその先駆けだった。世界のワイン地図に初めて、足跡をしるした日本人と言える。2008年11月にお会いしたときはお元気だっただけに、8月15日に65歳で急逝された知らせに驚き、喪失感にとらわれている。
21世紀のボルドーワインは、史上最高の品質に達しているが、その原点は、現代ボルドーワインの父と呼ばれたエミール・ペイノー博士にある。完熟した葡萄の収穫、衛生的な醸造設備、選別の必要性など、今は常識化している手法を広めた。ペイノー博士に学んだ鈴田さんの人生は、ボルドーの品質向上の軌跡と重なっている。
サンジュリアン村の格付け3級。シャトー・ラグランジュを、サントリーが7500万フラン(25億円)で買収したとき、ワインの評判は地に落ちていた。ペイノー博士を顧問に迎え、レオヴィル・ラス・カーズのミシェル・ドゥロン氏の助言も得る万全の体制で、再建にあたった。
地質検査に基づいて、休耕地に適した葡萄品種をヘクタールあたり8500本の密植度で植えた。畑に排水管を敷設し、85年には温度調節機能のついたステンレス発酵タンクを設置した。シャトー・ラフィット・ロートシルトからも見学に来るほど、最新の装置だったという。セカンドワインのレ・フィエフ・ド・ラグランジュを導入し、グランヴァンの質を上げた。
2004年から鈴田さんの後任を務める椎名敬一副会長によると、サントリーはラグランジュの改革に、買収金額の3倍以上の資金をつぎ込んだという。
「いい時期にシャトーに入って、資金の心配をせずに大改修を手がけることができました」
鈴田さんはそう語っていた。大企業のバックアップを受けて、やりたい仕事をする。これほど恵まれた会社員人生もない。しかし、会社員だからこその苦労もある。シャトーの買収は当初、日本企業の経済侵略と見なされた。閉鎖的なボルドー社会で、保守的なフランス人と、未知の領域に挑む日本の本社にはさまれて、人知れない苦労を味わったに違いない。
その摩擦を和らげたのは、温厚で控えめな鈴田さんの性格だったのではないか。
2008年11月、鈴田さんがコマンドリー・ド・ボルドー東京で騎士に叙任された際、ヨミウリ・オンライン「ワインニュース」で紹介したところ、お礼の電子メールをいただいた。
「私の写真が掲載されてびっくりしました。私はどちらかというと片隅志向なので、このようなところに出していただくと晴れがましすぎて恥ずかしい次第です。しかし、お心遣いは有難く頂きたいと思います」
謙虚や含羞という言葉の似合う人だった。
2000年にシャトーを訪問した際の思い出も忘れられない。訪問日を間違えてファックスしていたため、別件の入っていた鈴田さんに案内してもらえなかったのだ。しかし、昼休みをつぶしてまで、1990年を含むラグランジュを試飲させていただいた。優しい心遣いが身にしみた。
ラグランジュは、マルセル・デュカス社長と鈴田副会長のコンビから、ブルーノ・エイナール社長と椎名副会長の代に移った。ウォール・ストリート・ジヤーナル紙が紹介するほどの「企業再生」の成功例となったのは、初代のコンビが基礎を固めたからだ。植えた樹がようやく25年を超えて、グランヴァンに使えるまで育った。
「シャトー改革は一世代では無理。成果を見届けるまで50~60年はかかります」
その言葉通り、偉大な2000年が飲み頃になるのはさらに20年を要する。自然を相手にしたワイン造りは息の長い仕事だ。
「ラグランジュはどこにいても気になる存在です。単なる仕事とは違う、すべてを注ぎこんだ場所ですから」
われわれの平凡な人生で、そんな場はなかなか持てない。造り手がこの世を去っても、汗の結晶であるワインは生き続ける。造り手とは恵まれた仕事だと改めて思う。
肩書は当時のまま
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