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新型コロナウイルスの嵐が吹き荒れた2020年。偉大な造り手や評論家がこの世を去った。故人の業績を振り返る。
ボジョレーの帝王ジョルジュ・デュブッフが死去(1月4日)
享年86歳。日本のボジョレー・ヌーヴォー・ブームを巻き起こした。マーケッターだけでなく、テイスターとしても優れていた。「ボジョレーの旗を世界に掲げた。ボジョレー・ヌーヴォーのお祝いを生み出すのに貢献した」(ボジョレーワイン委員会のドミニク・ピロン会長)。
ヴォルネイのミシェル・ラファルジュが死去(1月15日)
享年91歳。ブルゴーニュで最も早い1930年代に、自家元詰めを始めたドメーヌの一つ。ミシェルは1946年から父と共に働き始め、67年に亡くなった父の後を継承。ヴォルネイの村長も務めた。マルキ・ダンジェルヴィーユ、ド・モンティーユ、ド・ラ・プスドールらのドメーヌと並んで、ヴォルネイの名前を広めた。
ワイン評論家でオークショニア、マイケル・ブロードベントMWが死去(3月17日)
享年92歳。1960年にマスター・オブ・ワインを取得。66年に英国のオークションハウス「クリスティーズ」のワイン部門のディレクターに就任した。古酒を含む多くのレアワインを紹介した高級ワインオークショニアの先駆者。フィロキセラ以前のボルドーなど多くのワインを試飲し、ワイン鑑定家としての地位を確立した。
シャトー・レグリーズ・クリネのドゥニ・デュラントゥが死去(5月15日)
享年62歳。グランゼコール「パリ政治学院」で、政治と経済を修め、ボルドー大で醸造を学んだ。1982年に26歳でシャトー・レグリーズ・クリネに参画した。ロバート・パーカーが1985年に95点を与え、ポムロールでペトリュスやラフルールと並ぶ存在となった。右岸衛星地区からアフォーダブルで、高品質のワインも造った。
モレ・サン・ドニのロベール・グロフィエが死去(6月22日)
ロベールの父ジュールが1950年代にドメーヌを創設、ロベールが73年から本格的に自家元詰を始めた。一部はジョゼフ・ドルーアンにバルクで販売。1haのボンヌ・マール、0.47haのシャンベルタン・クロ・ド・ベーズのほか、1.12haのシャンボール・ミュジニー・ザムルーズは最大の所有者。現在は孫のニコラが中心となって、彼の父セルジュと共にドメーヌを運営している。
コルナスのアラン・ヴォージュ死去(8月26日)
享年81歳。1960年代に家族ドメーヌを継承して、自家元詰を始め、90年代に米国を中心に輸出を始めた。シャプティエの影響で、2006年からオーガニックに転換し、マリア・チュンとフランソワ・ブーシェの指導も受けて2016年にビオディナミの認証を取得。2018年に亡くなったオーギュスト・クラープと並んで、コルナスの産地を世界に広める上で大きな役割を果たした。
シチリアワイン世界に広めたディエゴ・プラネタが死去(9月19日)
享年80歳。バルクワインの産地だったシチリアを、高品質ワイン産地に転換した原動力。ジャコモ・タキスやカルロ・コリーノら国際的に活躍するエノロゴを起用して、現代的な醸造装置を導入し、国際品種を栽培して、シチリアワインのイメージを変えた。チリアでも最も多くのトレビッキエーリを獲得し、シチリアを代表するブランドとなっている。
ロックスター・ワインメーカーのタラス・オコタが死去(10月12日)
享年49歳。アデレード・ヒルズで自然派ワインを造った「ロックスター・ワインメーカー」。アデレード大学で醸造学を修め、夫婦でレンズウッドにワイナリーを設立。ローヌ、ブルゴーニュ品種、リースリングなどをオーガニックで栽培。人為的な介入を排除したワイン造りを追求した。ピュアでナチュラルなワインは、世界から称賛された。サーファーで、パンクバンド「Krantus」のベース奏者としても活躍した。
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