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ブルゴーニュの重要な生産者を日本に紹介してきた坂口功一さんの「ソシエテ・サカグチ」が今年、創業40周年を迎えた。6月にパリ近郊のシャトーで開かれた記念パーティには大勢のヴィニュロンが出席して長年のつき合いと事業の発展を祝った。その模様を伝えながら歴史を振り返る。
ブルゴーニュの重鎮110人が参加
東京ドームとほぼ同じ広さの敷地にある築200年を超すシャトーの広間には、13のテーブルが設置されて50ドメーヌのオーナーら110人が集まった。最年長のユベール・リニエが89歳。オベール・ド・ヴィレーヌが84歳。マルセル・ギガルが82歳。坂口功一さんが80歳(当時)。ルフレーヴ当主のブリス・ド・ラ・モランディエールが若く見えるほど、ワイン業界の重鎮たちが勢揃いした。
その顔ぶれは坂口さんがブルゴーニュに築いた40年にわたる交友関係をそのまま物語っていた。その絆を基に名門ドメーヌが輸入されて、日本は世界3位のブルゴーニュ市場に成長した。ただ、その道のりは容易ではなかった。1985年、パリ駐在時代に15年間勤めた商社の伊藤忠を40歳で退職して貿易会社「ソシエテ・サカグチ」を興した。ゼロからのスタートだった。
坂口さんが財閥系商社ではなく伊藤忠の出身というのはうなずける点がある。伊藤忠は近年、就活生の人気ランキングで上位に位置している。「三方よし」や「家族主義」の企業風土がその理由と指摘されている。坂口さんも商社時代から売り手と買い手の中間にたって両方を満足させる「商人」と呼ばれてきた。それも成功した原因の1つだろう。
パリ近郊の自宅寝室を事務所に、雑貨やインテリアなどの輸出から始めた。マルク・コランのモンラッシェの仕入れで縁のできた伝説的なワイン商ローラン・ルモワスネを師匠にテイスティング技能を磨いて、ワイン・エージェント業の比率を上げていった。AmZ、ラック・コーポレーション、中島董商店を提携先にドメーヌを増やした。
シャブリのラヴノーやシャンパーニュのサロンなど新たな生産者を開拓した。ルフレーヴは先行していた輸入業者が注文しなかったすきをついて、新たなエージェントの地位についた。8年間かけてヴァンサンとアンヌ・クロードのルフレーヴ父娘の下に通い続けた苦労が実ったのだ。
「40年間は長いようにも感じるし、あっという間にも感じます。よくやってきたという満足感はあります。ワインに限りませんが、相手といかに信頼関係を築けるかがカギを握っています」
1990年代にほぼ完成したソシエテのポートフォリオはブルゴーニュ好みの日本人の間に広がった。平成のワインブームで大きな役割を果たしたと言えよう。
造り手たちと家族ぐるみのつき合いをしてきた。長いキャリアの中にはつらい思い出もある。乳がんと闘いながら、2014年に亡くなった千歌子夫人の葬儀に参列してくれて翌年に亡くなったアンヌ・クロード・ルフレーヴ。2006年にライフル自殺したドゥニ・モルテ。昨年4月に84歳で亡くなったヴージョのアラン・ユドロ……。
静かな農村だったブルゴーニュも時代と共に変化している。LVMHやアルテミス・ドメーヌのような巨大資本が歴史のある小さなドメーヌを買収し、地価も上昇している。資本の論理が広がっている。
坂口さんの仕事に対する姿勢は変わらない。地道に人間関係を築き、そこから新たな造り手を発掘する。しっかりした信頼関係があるから、輸入元を変えるドメーヌも滅多に現れない。
ソシエテは創業時に12歳だった長男の暁秀さんと香織夫人がしっかりと業務を支えている。
「新しい目標を定めて、意識的に前に進めていかないといけません」と、坂口さんはどこまでも前向きだ。それが二人三脚で働き続けた千歌子さんへの恩返しになると信じている。
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