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学びながら長足で進歩
3年後は必ず決勝へ
2019年「ソムリエ」168号掲載
準決勝に残った19人の名前が、1人、また1人と呼ばれていく。呼ばれた瞬間にコンクールは終わる。心を無にして待つ。人数が半分ほど減ったところで、「ワタル・イワタ」と読み上げられた。
〈あー、呼ばれたか〉
悔しさはなかった。その時は、やりきったというすがすがしさがあった。
しかし、帰国して、ファイナリストたちのインタビューなどを見るうちに、こみ上げてくるものがあった。
〈3年後は必ず決勝に進む〉
負けた理由はわかっていた。サービスの点が低かったのだ。白ワインをデキャンタージュして6人に均等に注ぎ分ける。6分間の制限時間で、最後まで終われなかった。
さんざん訓練はしていたのに……普段とは異なる環境で、細部まで行き届かなかった。
驚くべきスピードで成長してきた。初めてのコンクール「ソムリエ・スカラシップ」に出場したのが2015年。ソムリエ資格をとって1年目。25歳だった。この時は優秀賞の3人に選ばれなかった。翌年には入賞し、2017年には全日本最優秀ソムリエコンクールで優勝。18年にはアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールで頂点に立ち、今年3月の世界舞台に臨んだ。ベルギー・アントワープで開かれた世界最優秀ソムリエコンクール。結果は11位だった。
同世代に負けて闘争心に点火
王道ではなく、孤独に脇道を疾走
挑戦心を支えるものは何か?
答えは簡単。負けず嫌いなのだ。
2015年のソムリエ・スカラシップは合宿気分で臨んだ。旅費も出場費もかからない。コンクールの世界をのぞいて、知り合いを増やせればいい。軽い気持ちだった。ところが、入賞したのは井黒 卓と森本美雪たち。先輩に負けるなら仕方ないが、同世代に負けるのは許せない。悔しかった。恥ずかしかった。闘争心に火がついた。
京都の「Cave de K」で働きながら、睡眠時間を削って、勉強した。
全日本コンクールは、優勝できるなどと考えてもいなかった。決勝に出場できただけで、達成感があった。ここまできたら楽しもう。
気持ちを素早く切り替えられるのは武器の一つだ。
「だれにも教わらず、独学でよく優勝できたと思います。決勝の動画は、恥ずかしくて見ていられません。好き放題しています。ゲストへのホスピタリティが全くありませんでした」
自分を冷静に分析できるのは、コンクールに勝つために必要な能力だ。
全日本最優秀ソムリエコンクールの優勝者は、1996年から2014年まで7回で5人いる。いずれも、ホテルのレストランやグランメゾンを経験している。日本のソムリエの王道を歩んでいる。先輩から学んで、仲間に刺激を受けて、戦いに望む。オリンピックで言えば、強化合宿のような恵まれた環境で育っている。
岩田の戦いは孤独だった。追い越し車線ではなく、脇道を試行錯誤しながら疾走してきた。それでも成長し続けてこられたのは、図太い自立心があったからに違いない。
アルバイトで稼いで大学へ
ニュージーランドでワインに目覚める
小学生時代から、母と姉の3人家族だった。母は介護士をしながら、家庭を支えた。子どもに強要はせず、自由放任だった。岩田は自分の道を見つけるしかなかった。お小遣いはないから、名古屋の高校時代はバイトに明け暮れた。ラーメン屋で、平日は6時から10時まで、土日は終日働いた。
「進学するつもりはありませでした。3年生になった時の偏差値は29.7。どこの大学にも行けないと言われました。進学校だったので、回りが受験勉強を始めた。自分だけが勉強していないのが寂しくなった。勉強すると、それが数字に現れる。それが楽しくなって、大学受験が面白くなりました」
同志社大学の社会学部に進んだ。奨学金をもらい、アルバイトで学費を稼いだが、そのまま普通の企業に就職するのが怖くなった。2年生の夏休みにバックパッカーで回った東南アジアが楽しかった。その反面、英語が話せればもっと楽しかっただろうという後悔も残った。ワーキング・ホリデーでニュージーランドに渡った。英語圏で最も生活費が安かったからだ。
オークランドの日本食レストランで働いた。高校時代のラーメン屋での体験が役に立った。労働ビザを取得できて、暮らしにも余裕が出てワインを飲めるようになった。そこでワインと出会った。
「クメウ・リヴァーのエステート・シャルドネが、初めておいしいなと思ったワインです。クメウやマタカナが近かった。ワインもブドウもこんなに種類があるのか。こんなに味が違うのか。最初は何でも同じ味に思えたのが、違いが見えて楽しくなりました」
マスター・オブ・ワインの中でも、図抜けた知識と品質を誇るマイケル・ブラコビッチMWの手がけるクメウ・リヴァーで、ワインに目覚めたのは幸運だった。ワインと近い環境に身をおいたのは、偶然だが、彼の自立的な生き方が引き寄せたとも言える。
ヨーロッパで産地の風に吹かれて熟成
後輩に伝える責任ある立場を自覚
興味は世界に広がった。貯めた資金でヨーロッパを1年間、回った。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、オーストリア……ドミトリータイプのユースホステルを泊まり歩いて、自転車で有名産地を回った。ガイドブックはソムリエ協会の教本。日本に戻ったら、ソムリエ資格をとろうと読み込んでいた。短パンにTシャツの日焼けした若者を、ボルドーのトップシャトーも歓迎してくれた。訪問依頼のメールにこもる熱意が伝わったのだろう。
プロとして働き始めると、じっくりと産地を回る時間はとれなくなる。効率的に回って、醸造家や経営者の話を聞けるようにはなるが、早い時点で産地の風に吹かれて、畑やワイン造りに思いをめぐらせたのは貴重な体験だ。のんびりした熟成の時間が、彼の土台を形成しているのは間違いない。
挑戦者として駆け抜けてきた5年間だが、それだけではすまなくなっている。先輩の石田博や森覚から教わったように、後輩たちに伝える立場になったことを自覚している。
「たくさんの人にお酒を飲む楽しさを伝えたい。ミレニアル世代が消費に貢献しているように、日本の若者にも面白い文化を伝えていけたら。缶入りワインなどで楽しさを伝えて、新しい消費者をつかまえることもできる。自分が学んでいたらよかったことを伝えたい。そうなったら、10年、20年後に僕たちの業界もうるおっているのでは」
責任者や委員長などの立場を避けてきたが、30になる手前でその重要さを知った。責任を任される地位につかないと、いい経験ができないことを自覚した。ソムリエの仕事とコンクールによって、それを学んだということだろう。
サントリーワインインターナショナルのブランドアンバサダーと、インポーター「GRN」のコンサルタントを務めながら、仕事を探し、9月に京都のホテル「THE THOUSAND KYOTO」のシェフ・ソムリエに就任した。
ホテル系レストランのビバレッジ・マネジャーが希望だった。多彩なレストランを担当して視野を広げながら、企業の中で数字を管理したいという。それが、3年後のコンクールとマスター・ソムリエにつながると考えている。
「何でも知っているように見られるかもしれませんが、まだ知らないことだらけです。3年間は長いですが、決勝に出るというニンジンがぶら下がっているから、頑張れます。明確な目標がないと頑張れないタイプなんです(笑)」
(敬称略)
Profile 岩田 渉(いわた・わたる)
1989年愛知生まれ。同志社大卒。京都のホテル「THE THOUSAND KYOTO」シェフ・ソムリエ。ワインバー「Cave de K」を経て、全日本最優秀ソムリエコンクール、アジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールで優勝。2019年3月にベルギー・アントワープで開かれた世界最優秀ソムリエコンクールで11位。
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