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世界最大の影響力を誇ったワインコンサルタント、ミシェル・ロランが78歳で死去

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 世界で最大の影響力をふるったボルドー出身のコンサルタント、ミシェル・ロランが、19日から20日にかけての夜、心臓発作で亡くなった。78歳だった。


 ロランは1947年にポムロールのシャトー・ボン・パストゥールを所有する一家に生まれた。ボルドー醸造学院で近代醸造学の父と呼ばれたボルドー大学のエミール・ペイノー教授やパスカル・リベロー・ガイヨンらの下で醸造を学んだ。


 父親が亡くなり、1978年に兄と共にボン・パスツールの経営を引き継ぎ、ワインの品質向上に取り組んだ。1986年にはフロンサックのシャトー・フォントニールを購入した。


 同級生だったダニーと結婚し、1973年にワイン分析研究所「ラボラトリー・ロラン」を設立した。ボルドー右岸のトロロン・モンドやアンジェリュスから始めて、醸造家として頭角を表し、1986年に米国でコンサルタントを始めた。


 ボルドーの1982年が最初の大きな成功となった。1983年のプリムール期間中に、同い年の若いワイン評論家ロバート・パーカーと出会い、お互いを尊敬し合う間柄となった。パーカーは1982年のポテンシャルを見抜いて、ワイン評論家として階段を駆け上がった。


 ロランはカリフォルニアのカルトワインに始まり、チリやアルゼンチン、イタリア、スペイン、イスラエル、南アフリカ、インドなど世界のワイン産地をカバーし、「空飛ぶワインメーカー」と呼ばれた。アルゼンチンで始めた「クロ・デ・ロス・シエテ」のように、マルベックに注力し、産地の可能性を開拓した例もある。


 ロランは2020年に「ラボラトリー・ロラン」の株をスタッフに売却し、新会社「ミシェル・ロラン・エ・アソシエ」を設立。同僚たちに役割を徐々に移譲したが、重要なワイナリーには自らおもむいた。アルゼンチンには亡くなる直前に夫婦で訪れていた。会社でコンサルティングするワイナリーは軽く200軒を超していた。


パーカーと共にワイン産業を近代化

 
 ロバート・パーカーとともに、1990年代以降のワイン産業に大きな影響を与えた。低収量と遅めの収穫から凝縮した果実味のブドウを収穫し、新樽を使ったモダンなワインは高い評価を集めた。そのスタイルはワインを画一化すると批判もされたが、テロワールを理解して栽培を改良し、適切な醸造を助言した。ワイン産業の境界を低くしてグローバル化に貢献したのは間違いない。


 また、ブレンダーとして飛び抜けた才能を示した。一流のワインメーカーを抱えるナパのハーラン・エステートやダラ・ヴァレでその逸話を聞かされた。ナオコ・ダラ・ヴァレさんは「ロランがブレンドに訪れて、100を超す区画や品種別のワインを試飲して、短時間で適切なブレンドを提案したのに驚いた」と語っていた。


 パーカーがロランの関与したワインに高得点を与えたため、2人は新樽を多用して、強い抽出で凝縮したワインの氾濫する”パーカーリゼーション”の元凶と誤解されているが、ワイン造りの基礎を築いて高品質ワインを世界に広めた立役者だった。


 未熟なブドウを不衛生な中古樽で熟成していた1970年代のボルドーの品質を高めて、再び脚光が浴びるようにしたのもロランだ。熟したブドウを清潔な環境で新樽で熟成する醸造をするように指導した。中国のような新興国のワイナリーもコンサルティングし、急速に品質を上げた。


 ただ、2010年代に入って気候変動が進むようになり、彼の特徴的なスタイルが次第に時代遅れと見なされるようになったのは事実だ。ナパヴァレーのカベルネ・ソーヴィニヨンも穏やかな抽出と控えめな新樽によるエレガントなスタイルに変わっている。マサイアソンの造るナチュラルでフレッシュなワインが若いソムリエや消費者に支持されている。


 ボルドーでも2010年以降、シャトー・ラ・ガフリエールやシャトー・パヴィ・マカンなどの著名なシャトーが、よりフレッシュなスタイルへと転換し、ロランとの関係を解消した。だが、歴史をたどると、ロランの進めた近代的な醸造や栽培が土台にある。


 パーカーが引退した後、気候変動や消費者の味覚が変化している。ロランの死は時代の変換点を記している。

妻のダニー・ロラン Facebook@Dany Rolland

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