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10Rワイナリーはワインの寺子屋
ブルース・ガットラヴの情熱
日本ソムリエ協会2021年1月刊「Sommelier」178号掲載
曽我貴彦さんの現在を考える上で、ココ・ファーム・ワイナリーでの10年間にわたる経験は外せない。ブルースと共に全国を歩き、各地の風土を知る機会を得た。「歩くワイン辞書」のブルースに変な質問をぶつけるトンチ問答から学んだことも多い。ブルースを通じて世界の産地も知り、世界的な視野を手に入れた。
ブルースの存在は、北海道が急速にワイン産地として成長する過程でエンジン役を果たした。ブルゴーニュには、父から子に口伝されたドメーヌのワイン造りがあり、ボルドーでは大学で研究したコンサルタントがシャトーに科学的な技術を助言してきた。カリフォルニアには、着想や技術をシェアする開放的な風土があり、それを支える大学もあった。
日本には東京農大や山梨大学のような教育機関があるものの、新規参入者が実際のワイン造りを学べる場が少ない。情熱だけではワインはできない。ワイン造りの最低限の技術と、ワインに向き合う姿勢のようなものが必要となる。海外の生産国で、教育機関や生産者団体、行政機関が担う役割を、ブルースは民間人として独力で担ってきたと言えよう。
彼が岩見沢で営む10Rワイナリーは、造り手になりたい若者や栽培農家が自立できるように、醸造のイロハを教える。読み書きを教えた江戸時代の寺子屋と同じだ。造り手は毎日のように来て、発酵タンクをチェックする。
「日本には山梨大学くらいしかワイン造りを教える場がない。生産者には3年から5年は通ってもらう。1年では無理。まず基礎を覚えて、3年目から自分の色が出せるようになる。ああしろ、こうしろとは言わない。培養酵母を使うか、野生酵母を使うか、亜硫酸をどれほど添加するか。ヴァン・ナチュールを造りたいなら自由です。でも、揮発酸が上がったり、バクテリアに汚染されてはいけない。可能性を教えるのです」
ワイナリーには、ステンレスタンク、木桶、ポリタンク、卵型コンクリート、アンフォラなど、数百もの多彩な発酵容器が置かれている。数百リットルの小型ステンレスもある。ブルゴーニュのミクロネゴスを思い出した。
「ド・モンティーユそして北海道」もここで醸造からパッケージングまで行っている。タキザワ・ワイナリー、ナカザワ・ヴィンヤードなど多くの有名ワイナリーが、この小さなワイナリーで醸造され、世に出ていった。まさに北海道ワインの揺りかごだ。
彼は教育者なのか?あるいは修道僧なのか?
「私が教えているだけではなく、私も学んでいます。40年近くワインを造る中で、多くのことを日本の造り手から学びました。ワイン造りは永遠のこと」
ワイン造りは競争でも、商売でもない。情熱の産物であることが、彼の深みのある言葉から伝わってくる。
一気に知名度を上げたニキヒルズ・ワイナリー
醸造家が海外研修で学び急速に進化
一方で、余市にはニキヒルズ・ワイナリーのようなモダンなワイナリーも存在する。2015年にできた若いワイナリーだが、「デキャンター・ワールド・ワイン・アワーズ2020」で「ユーゾメ 2018」がゴールドメダルを受賞した。日本ワインがゴールドに輝いたのは初めて。一気に世界的な注目を集めた。
ユーゾメは余市のツヴァイゲルトを野生酵母で発酵した。ワインメーカーの麿直之さんは、大手製薬会社のMRから転じて、2015年にゼロからワイン造りを始めた。当初は満足の行くワインができなかった。
それを変えたのが、ニュージーランド・ワイパラヴァレーのマウントフォード・エステートのワインメーカー、小山竜宇さんのアドバイスだった。
「ツヴァイゲルトは2015から造っていたが、苦みのあるタンニンが気になった。2016と2017は圧搾を穏やかにしたが、今度は果実味がでない。小山さんのアドバイスで、野生酵母に変えて、発酵から1週間でブドウの種を抜いたら、種由来のタンニンが薄れた」と麿さんが振り返る。
麿さんは会社の資本力に恵まれて、毎年のように南半球で研修してきた。 2017、2018年はマウントフォードで基礎を教わった。2019年はオーストラリア・ヴィクトリア州のバス・フィリップへ。伝説的なワインメーカーのフィリップ・ジョーンズは厳格な性格で知られるが、各国の研修生がクビになる中で最後まで続けたというから、真面目さと能力が評価されたのだろう。
2020年初めにマリヌーを訪れて、シュナン・ブランに興味を持った。植え付けを考えている。仕立て、発酵温度など、栽培、醸造の細かい技術を学んで、それをすぐに応用している。乾いたスポンジのように、歴史に支えられたワイン造りや最新のノウハウを吸収している。
雪が積もる冬の間に南半球を訪れる。北半球のフライング・ワインメーカーと同じく、オフの期間に南半球で収穫・栽培をすれば、普通の醸造家より2倍の経験が積み上がる。
化学知識のあるMRを務めていたことも役立ったのだろう。カリフォルニアでは医師、弁護士やエンジニアが、趣味でワイン造りを始めて、本業になる例は少なくない。専門技能を習得する集中力と情熱があるせいだろう。
ワイナリーには、ゴージャスなフランス料理を供するレストラン付きのホテルや庭園も付属している。これもまた、仁木町と余市町をワイン観光の地として発展させるのに役立つだろう。
駆け足で回った北海道のワイナリーではあったが、将来の可能性の大きさを改めて感じた。小規模なワイナリーが独自の哲学を持って、自然派的なアプローチでワインを造っている。北海道が世界の日本地図に乗る日はそう遠くないかもしれない。
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